写真:2010オールジャパンより
Road to JBL
「僕は負けず嫌いなんです、”無理だ”と言われると逆にやる気がでる。」Yuto Otsuka
大塚 裕土選手(
Yuto Ootsuka )北海道名寄市出身 東海大学卒 生年月日1987/8/23
「Aチームに上がって活躍するのは夢だった」 最後に目標を達成し、まだ先を求める 2010.01.03 (Sun)
◆#46大塚裕土(東海大・4年・SF)
東海大のBチームは独立してチーム運営を行う確固とした組織だ。神奈川県には関東学生連盟とは異なる神奈川リーグもあり、それに参加して年間を通して試合を続け、オールジャパン予選でも毎年神奈川上位に名を連ねる。選手を見渡してみれば、Aチームで通用する選手も多数いる。ただ、Aチームの椅子が限られているというだけだ。
大塚はそんなBチームから上がってきた。しかし、今年Aチームに名を連ねた6名の4年生は、春の好調な時も、リーグ戦で苦しんでいた時も、折りをみて出番を得た。それは彼らが重ねて来た努力を陸川監督が理解し、実力を信頼していたからだろう。最後に昇格した大塚も、春から与えられた出番で確実にシュートを決める場面が目立った。しかし、アウトサイドのみならず本来は3番でありもっと幅広いプレーが可能だ。それを十分見られなかったのが惜しまれるが、まだ可能性を秘めた選手として、自らの道を切り開いていってもらいたい。
−4年間を終えてどのような気持ちですか?
「インカレにかけていたので、そこで負けてしまって大学の一番大きな大会が終わりました。今は気持ち的に何も考えなくても良くなったというか。本当に日本一だけに懸けていたので、何をしたらいいのかオールジャパンでは見えにくかったんですが、JBL相手に挑戦するだけだと思っていてそうした試合ができました」
−東海はBチームにも大勢いて、もちろん4年生もAも含めて大勢いますよね。その中で最後に上がってきたのは努力があったからではないでしょうか?
「努力しているのは自分では分からないというか、実感しにくいものですよね。でも目標があったし、そのためにやるべきことをやっただけです。努力は周りの人が評価してくれるものだと思っていますし、していただけました」
−石崎巧選手(現JBL東芝)や竹内譲次選手(現JBL日立)のいた年に入学した訳ですが、当時はどんな気持ちだったのですか?
「譲次さんたちはもうすごい人たちだという、それだけでしたね」
−自分がいずれAチームにあがって、活躍するというのは?
「それはもちろんありました。本当に夢でした。まさか今年最後の年に自分がAに上がって試合に出られるとは、想像していなかったです。もちろん夢ではあったんですが」
−その中で石井選手(#27)や鮫島選手(#45)がどんどんAチームに上がっていきましたよね。彼らはそれだけの努力をしていると感じましたか?
「頑張っていましたね。でも古川(#24)のようにずば抜けたというものはなかったし、だから彼らと違って自分に何が足りないのだろうと2年や3年の時はずっと考えていましたね。3年になった時に鮫島が上がって、僕の中には実力的に似ていて自分でもありだったんじゃないかという思いはありました。でもそこで腐ってもいけないと思ったのは確かです」
−上がった理由というのは何か思い当たりますか?
「僕はシュートが好きで、長所が何かを考えた時にシュートに一番自信がありました。だからそこを更に伸ばそうと練習をしてきました。4年になる前に陸さんとも話をして、今はAチームに3番が古川しかいない状況だったし、鮫島は3番ですがアウトサイドは古川みたいに入る訳でもない。石井はシュートはあるけれど2番、ガードに近いので3番が必要だということになったのがきっかけになったと思います。Bチームでも神奈川の大会では結果を出していたので、そこだと思います」
−Aチームで1年間やった時間はどんなものでしたか?Bとは違っていた?
「Bとは全然違っていましたね!シーズン始めの3月はAでも試合に絡めたり絡めないメンバーに分かれます。自分はAの中でも下の方でした。でもある意味Aに上がってからやればいいやと考えていたので、そこまで気持ちの面では焦りもなく問題なかったです」
−でもトーナメントあたりから出番を得た時はしっかり決めていましたし、仕事をしている印象がありました。
「なぜAチームに上がったかと言えば、シュートを期待されていた訳ですよね。だからトーナメントの時はシュートを打っていただけですが、それが入っていたのが結果的に良かったと思います」
−この春から、前村選手(#17 )や#5多嶋選手(#5)がバスケットをするのが本当に楽しいと言っていました。それはここしばらくの東海からは出てきたことがなかった言葉なのでいい雰囲気なのだなと思いましたが、感じていましたか?
「4年生の仲がいいので、そこが中心になっていました。Bチームでみんなとやってきたのはもちろん楽しかったですが、Aの経験も本当に楽しかった。特に代々木の舞台でやるのは夢でしたし」
−東海での4年どんなものでしたか?
「大学生はそんなに真面目にやらないのかなと思っていたので、何も知らず入って練習などはキツかったですね。年々真面目にキツくなった感じです(苦笑)」
−次第にキツくなったんですか?
「ルールは元々あったんですが、より厳格になりました。以前はちょっとしたことなら許すということもあったんです。でも去年インカレ2回戦で負けてしまったのもあって、私生活から正すべきなのではという風にミーティングをして変わっていきましたね」
−そこが今年は生きたのでしょうか?
「春はそこが良かったと思います。リーグの時は少しダメな部分も出ましたが、勝っても負けてもインカレのために、というのはあったのでみんな負けても勝ちに執着していましたね」
−リーグからインカレの立て直しは、ベスト4ではありましたが見事でした。来年優勝を目指すために後輩たちには何を伝えますか?
「僕らの下の代はあまり横のつながりがないんですが、そこから仲良くなって騒ぎながらもチームをどうするかを考えて欲しいと思います。自分たちはもともと仲が良くて、その中で真面目に話をして下をどう盛り上げようとか考えて、広げてやってきました。みんな力はあるので、後はコミュニケーションを試合の時以外でもとって欲しいと思います」
(BOJweblogより)